教員採用試験に合格した話。
先日受けてきた教員採用試験の結果が出たので更新。
いつか、この時を振り返ったときに、思い出せるように。
結果から言えば、合格。
Twitterに載せたところ、たくさんの友人からおめでとうメッセージをもらって、なんだかコソバユイ。
今いる県と2つ受け、地元のみ合格。
これもまた何かの導きなのだろうか?
率直な感想は、「2年前はもっと努力した(と思う)のに」だ。
あの時は何としても手に入れたかったものが手に入らなくて、今年は『ダメでも来年あるし』くらいの感じで、何も勉強してないのに、あっさり手に入ってしまって、なんだか拍子抜けだ。
一体、2年前の僕の努力は何だったのだろうな。
いや、きっとその時の努力も、今の僕を構成しているのだろうと、今では思う。
次に思ったことは、「この生活も、あと半年か……」だ。
教員採用試験に落ち、塾講師という仕事について、1年半。
つねに、自分にできること(自分にもまだできること)をし続けてきたと思う。
いわば、自分の存在価値と戦ってきた。
こんな言い方をしてしまうと大変失礼だが、塾講師というのは、誰にでも務まると思う。
教員と違って資格は必要ないし、数学や理科を教えることは、「僕でなければいけない」ことではない。
その中で、「自分でなければできない仕事」を、僕はできただろうか?
いや、そういうお堅いことが言いたかったのではない。
僕は、塾講師という職を利用して、非正規雇用であるという言い訳や、夜型の生活を通して、2年間のモラトリアム、社会に出る前の自由時間を延長したのだ。
それがあと半年で終わってしまうことに、寂しさを感じた。
思えば、「大学生になったらやろうと思っていたこと」はできずに卒業したし、このモラトリアムの間にやりたかったことも、いくつできただろう。
あと半年で、どれだけできるだろう?
個人的には、この報告に、僕以上に両親が喜んでいたことが嬉しい。
自分の人生、自分以外に責任を持てないのだから、親なんて関係ないと思ってはいたけれど、できることなら心配かけずにいたいものだ。
来年のことを言えば鬼が笑う、というけれど、来年の自分は一体どこで何をしているのだろうか。
楽しく教員をしていてくれればいいと思う。
そして、最近強く思うこと。
別れがあるから、出会いは素晴らしいのだし、思い出は輝く。
いつか来る別れまでの時間を、共有する。それが、もっとも大切なことの一つだと思う。
だから、僕は、教師がしたいのだと思う。喫茶店のマスターになりたいのだと思う。
そして、だからこそ、日々をいつも通りに過ごす。これがリソルート流なのだ。
では。
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