眠れぬ夜の夜想曲

みなさんこんばんは。

寝る前にはスマホやゲーム、PCの画面をあまり見ない方がいいとよく言われますが、なかなかできませんね。

特に、静かな夜には本を読みたくなりますが、電子書籍だと上手くいかなくなってしまいます。

リソルートです。

今日は、なんだか眠れないのでブログを更新しようと思います。

 

 

今の職場で仕事をするのもあと3週間ほどとなり、「今の僕にできること、全力でやり切ろう!」と思っていたのですが・・・。

今日は少し失敗をしてしまいました。

一応いい大人ですし、上司から注意されることなんてそうそうないのですが、今日は注意されてしまいました。

心に体が追い付きません。

思えば、2年間お世話になったこの職場で、上司から注意・お叱りを受けたことは片手で数えられる程しかありませんね。

寝坊した時も、心配が先に立ち、あまり怒られませんでしたし・・・。

 

今回の失敗は、やる気が空回りしたことに原因があるかもしれません。

勿論それだけではありませんが。

“いつも通り”にしていれば、妥協して切れた内容を、妥協せずに行ったことでミスを招きました。

こういう時には、すごくやるせなくなり、改めて自分は不器用だなと思います。

 

寝坊みたいな、自分がダメ人間であることに原因のあるミスのほうが、反省もしやすいし、受け入れやすいですね。

 

 

先日、このような話をネットで目にしました。

「主人公になりたかった」という話をすると「誰でも自分の人生の主人公なんだよ」という反論が返ってくるものですが、

僕たちは決して〈誰にも読まれない凡庸な物語の語り手〉になりたかったわけではなく、

〈魅力的な物語の中心人物〉になりたかったという意味で主人公という言葉を用いているんですよね

これはすごく的を射ていると思います。

この言葉の主と僕の解釈は少し違うかもしれませんけれど・・・。

『誰でも自分の人生の主人公』というのは、本当にその通りだと思いますし、そうであって欲しいと願っていますが、

時として慰めの意味を多く含んだり、強い正論であったりして、なんだか素直に受け入れがたい面もあります。

 

僕は今からでも、<魅力的な物語の中心人物>になれるのでしょうか?

 

僕は自分の意図を正しく伝えるために、多くの言葉を用いて説明してしまいますが、少ない言葉で正しいニュアンスを伝えるのは難しいですね。

伝われ。

 

 

話が飛びすぎて、何の話をしたかったのか忘れてしまいました。

たまにはこんな日があってもいい。

 

そういえば、高校時代はよくこんなブログも書いていたなあとなんだか懐かしくなりました。

あれからもう8年経ちますが、変わらないものですね。

 

では。

risoluto
吟遊詩人。趣味人を気取る教育公務員。

人生とは旅に似ている。



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