生存報告 ~”瞬間”を大切に~
人生では、得るか失うかで言えば、失うことを大人になるという。
リソルートです。
久しぶりの更新が、比喩でもなんでもなく、文字通りの生存報告になってしまいました。
先日、腫瘍が発見され、手術。本日無事に退院しました。
人生には3つの坂がある。
ひとつは上り坂。
ひとつは下り坂。
そしてもうひとつが、まさか。
なんて言ったりしますが、本当に人生は想像もしないことが起こるものです。まさか自分の身にこんなことが起こるとは。
僕らは、ただ漠然と、「昨日と同じような今日が来たように、今日と似たような明日が来る」と思いがちです。
けれど、実際にはそうではない。
もしかすると、明日が来ないことがあるかもしれない。
そんな世界で生きているんだということを、実感しました。
これまでも、何度も同じようなことを考えて、偉そうに話したこともあったかと思いますが、それでも、どこか他人事に思っていたことが、実際に自分そういう状況に立たされると、クるものがあります。
これまでの僕の言葉は、とてもうすっぺらかったのかなと。
同時に、科学の発達した現代では、人は簡単には死なないこともわかりました。
思えば、死の危機に立ち、「もしかしたら別の世界線では自分はここで命を落としていたかもしれない」と思うことが、これまでにもありました。
もう記憶の彼方、場所も年齢も覚えていない頃に川で溺れたこと。
高校生の時、自転車で車にはねられたこと。
静岡へ旅行に行き、細い山道で事故りそうになったこと
実際に昨年事故を起こしてPASSOが大破したこと
それでも、死ぬどころか、ろくに怪我もせずに生きてきました。
自分は、決して運は良くないけれど、悪運は強い方だと思えますね。
そういえば、記事冒頭の話。
大学時代に、実験の待ち時間に一緒に実験をしていた友人に聞きました。
「成長って得ることだと思う?失うことだと思う?」
友人は、
「得ることだと俺は思う。今の自分が、何かを失ってできたと思いたくない」
と言っていました。
言葉は微妙に違うと思いますが、今もよく覚えています。
彼も今元気にしてるかな。
そんな人生の儚さや、命の大切さを感じたうえで、思ったことが3つ。
ひとつ。
優しさと諦めはよく似ている。
ふたつ。
志半ばで終わる恐怖。
みっつ。
心は逸る。自分は凹む。
ひとつめとみっつめは、また時間のあるときに文字に起こすことにして。
いつかやりたいと思っていたこと。その「いつか」が来ないかもしれない恐怖。
僕はどちらかといえば優柔不断で、でもそれはこだわりが強いことの裏返しでもあると思っています。
高校生の頃、喫茶店で注文に迷っている僕に友人の言った一言
「次来た時の楽しみにすればいいじゃん」
この一言で、僕はこだわることをやめることができました。
今できなくても、次できればいい。
迷わなくなったのは、「失敗してもいい。次があるさ」という精神です。
けれど、『次』が来なかったら……?
そう考えるのはとても恐ろしいです。
頭の片隅に少しずつ溜まっていった『次はこうしよう』『いつかはこれをやろう』の『次』や『いつか』が来なかったら?
想像したくもありませんが、現実にそうなる可能性があったというのは、とても怖いですね。
しかし、僕が喫茶店のメニューで迷っていたのは、きっと『今を全力で生きたいから』
後悔したくない。
そんな思いで、常に全力で。
そんな前向きな気持ちで迷っていたのではないかと思います。
さあ、今の僕も、昔の僕を見倣って。
昔のようには走り出せなくても。
やりたいと思っていたこと、どんどんやっていかないと、立ち止まっている時間なんて、人生にはありませんね。
さて、今年からは初担任。
手術を経て、新しく命をもらったつもりで、今日から命を燃やしていこうと思います。
令和2年度も、頑張っていきましょう。
(ちなみにサムネイルの写真は、ふと思い出した、2019年の阿智のひまわり園の写真。ブログを更新することも忘れていました。ようやく更新しました。タイミングがずれ、花の写真が撮れなかったので、今年リベンジしようと思っていたのでした)
では。
どうか後悔しない今を。
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