『獄門島』(横溝正史)

物語の中の殺人には芸術性が欲しい。

リソルートです。

最近「見立て殺人」に凝っています。

今日は、見立て殺人を扱った中でも、不朽の名作と言われる、横溝正史氏の『獄門島』について読後の感想をまとめます。

kindleにて読了。

映画化やドラマ化などでもうご存知の方も多いと思いますが、可能な限りネタバレをなくして書きました。

ネタバレしても良いという人は、Wikipediaを読んだ方がわかりやすいかもしれません。

あらすじ

僕流にアレンジを加えたつもりですが、大部分がコピペです。

 

舞台となるのは、終戦から1年経った昭和21年9月下旬。瀬戸内海に浮かぶ小島、「獄門島」

獄門島に向かう巡航船、白竜丸に3人の男が乗っていた。

ひとりは「獄門島」の千光寺の了然(りょうねん)和尚

ひとりは漁師の竹蔵(たけぞう)

あとのひとりは、本作主人公にして、言わずと知れた名探偵、金田一耕助

戦争から復員した耕助は、戦友だった鬼頭千万太(きとうちまた)が死亡したことを2人に告げ、そして千万太からの紹介状で獄門島でしばらく厄介になれないかと頼む。

耕助と千万太は共に戦い、終戦まで生き延びたが、千万太は復員船の中でマラリアで死んでしまう。

その死の間際、千万太は耕助に遺言を残した。

「金田一君、おれの代わりに獄門島へ行ってくれ・・・三人の妹たちが殺される・・・」

友人の遺言を受け、耕助は獄門島へと足を踏み入れる。

果たして、三姉妹の命を助けることはできるのか・・・。

 

~舞台と登場人物紹介~

「獄門島」は島一番の網元(漁師の親方)である鬼頭家が支配しているが、本家の「本鬼頭」と分家の「分鬼頭」で対立しあっていた。

【本鬼頭】

鬼頭千万太:故人。耕助に獄門島へ行くことを勧めた。本鬼頭本家。

月代(つきよ):千万太の腹違いの妹。長女。18歳。鵜飼と良い仲(?)祈祷が得意。鬼頭さんの祈祷って洒落かな

雪枝(ゆきえ):千万太の腹違いの妹。次女。17歳。

花子(はなこ):千万太の腹違いの妹。三女。16歳。

(僕は雪月花三姉妹と呼んでいたけれど、月雪花三姉妹だったので途中で誰が誰だったのかよくわからなくなった)

与三松(よさまつ):千万太や三姉妹の父親。後妻お小夜の死んだ10年前から気がおかしくなり、狂ったように暴れるので座敷牢に閉じ込められている。

早苗(さなえ):千万太のいとこで与三松の姪。若いのによくできた娘で、兄の一(ひとし)が戦争に行ってからの本鬼頭を支えている。本鬼頭分家。

お勝さん:嘉右衛門の妾だった女性。ほとんど役に立っていない。猫を飼っている。

一(ひとし):千万太の従兄弟で早苗の兄。戦友が無事を報告した。本鬼頭分家。

お小夜(さよ):故人。三姉妹の母。旅役者だったのを与三松が見初めた。晩年は気が狂っていたらしい。

嘉右衛門(かえもん):故人。千万太たちの祖父。鬼頭家を長く繁栄させてきたが昨年亡くなった。

竹蔵(たけぞう):本鬼頭につく漁師。漁の肝である「潮つくり」の名人。竹蔵がこちらににいるかぎり、本鬼頭の優位は揺るがない。

 

【分鬼頭】

(どうでもいいけど、文中には「わけきとう」って書いてあるけど、「ぶんきとう」って読んでしまう。)

儀兵衛(ぎへえ:分鬼頭当主。

お志保(しお):分鬼頭に嫁入りしたいへんな美女でしかも油断ならない。年の差40も上の儀兵衛と結婚。鵜飼を使って本鬼頭の三姉妹を手懐けようとしている(とのウワサ)

鵜飼章三(うかいしょうぞう)美青年。線の細いが元軍人。

 

【その他の島の人々】

了然(りょうねん)和尚:島に昔からある曹洞宗千光寺の和尚。高齢。

了沢(りょうたく)典座(てんぞ)という雑用係。若い僧侶。

(耕助は千光寺で世話になっていたが、千光寺で生活していたのは耕助を除いて上記2名のみ)

荒木真喜平(あらきまきへい):獄門島の村長。

村瀬幸庵(むらせこうあん):漢方医。酒癖が悪い。

清公(せいこう):床屋。東京出身の江戸っ子で、流れ流れて獄門島にたどり着いた。

 

【もとは島外の人々】

清水さん:島にひとつの駐在所のお巡りさん。

磯川常次郎(いそかわ つねじろう):岡山県警察部の警部。耕助とは前作からの知り合い。

あらすじ2

10月5日。

今夜は千万太のお通夜である。

耕助和尚に「分鬼頭に行って今夜の千万太のお通夜にお志保さんが出てこれるか聞いてくれ」と頼まれた。

千光寺の階段を下って行く時、すれ違いに登る竹蔵と会い、話す。

分鬼頭では、お志保さんから「儀兵衛の具合が悪いから通夜に参列できない」と告げられた。

耕助は千光寺に戻ろうとするとちょうど寺から下りて来た和尚了沢竹蔵の3人に会い、そのまま本鬼頭へ向かう。

本鬼頭ではお勝さん花子の姿が見えないと心配していたがその時は誰も気にしていなかった。

通夜が終わっても花子が戻ってこないのでさすがにおかしいと騒ぎになる。

最後に花子を見たのは午後6時15分。

今は10時半

幸庵先生がここに来る前、鵜飼が寺に登っていったのを見たらしい。

寺で逢い引きでもしていたのか?

月代は「鵜飼さんは自分に気があるから花子なんかを相手にするわけがない」と言う。

午後11時。

酔い潰れた幸庵先生を家に送った耕助は、分鬼頭に行った竹蔵了沢と合流する。

分鬼頭にも花子はいなかった。

千光寺に戻る和尚に続いて3人も寺に向かう。

その時、先に寺に戻った和尚が急に戻って「了沢、了沢」と叫び出す。

何かを予感した耕助が駆け出した。

石段を上がると和尚が提灯を頭上にかざす。

すると、

千光寺の梅の古木に花子がさかさまに吊るされて殺されていた!

目は見開かれ、長い髪が地面をのたうつように撫でる。

その時、耕助和尚が念仏を唱えながらこうつぶやくのを確かに聞いた。

「気ちがいじゃが仕方がない」

こうして凄惨な殺人事件の幕が上がった。

(名前に色をつけた方がわかりやすいかと思いましたが、見にくかったらコメント等でお知らせください)

見立て殺人という見地から

読みごたえも十分、それでいて、古い文体なのにスルスル読めました。

流石、日本を代表するミステリなだけはあります。やるな、横溝正史(ちょっと上から目線で申し訳ないです)

余談ですが、横溝氏もヴァン・ダイン『僧正殺人事件』アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』を読んで、そこから着想を得たそうです。

僕もこの両作品は読みまして、まんまと「見立て」の虜になったわけです(機会があれば記事を書くかもしれません)。

そして次に手を伸ばした『獄門島』。

ここで僕は「見立て殺人」の大きな壁にぶつかったのです。

それは・・・

見立て元(オリジナル)がわからないと、展開が予想できないから面白さが減る

ということです。

「見立て殺人」は、見立ての芸術さではなく、犯人はなぜ見立てを行ったのか、つまり「見立て殺人を行わなければいけない理由」というのが、犯人を特定する大きな手がかりになります。

今回は、読者視点の金田一耕助が、見立てであるということに気づいたのが物語の後半でした。

そして、問題は、見立て元である俳句が、僕らに馴染みのないものであるということです。

現代でアレンジされるなら、きっと、俳句に詳しい人(今回で言えば清公あたりでしょうか)が嬉々として俳句の解説をしてくれると思います。

それがなかった。

だから「見立て」として本書を楽しみにしていた僕にとっては、少々肩透かしになってしまった感じです(もちろん僕の知識不足もあります)。

見立て元の俳句

僕のように「見立て」として楽しみたい人のために、見立て元の俳句について紹介しておこうと思います。

しいていうなら、ここだけがネタバレ要素かもしれません。

 

①鶯の身をさかさまに初音かな (宝井其角)

「さかんに春の到来を告げてさえずっているうちに、枝に逆さまにぶらさがり、それでもなおさえずりつづける鶯を詠んでいる。

 鶯の初音というのはしかし、はっきりいってヘタクソで聞くにたえない。それでも、一生懸命にさえずる練習にはげんでいる姿を想像すれば微笑ましい」

(参考URL:永遠に失われた日

枝にさかさまにぶら下がりながらも、それでもなおさえずり続けるウグイスの俳句でした。

宝井其角(たからいきかく):江戸前・中期の俳人。蕉門十哲のひとり。

聞いたことのない人の聞いたことのない俳句だったので、自分の浅学さを嘆くばかりです。

②むざんやな冑の下のきりぎりす(松尾芭蕉)

「実に痛ましいことであるよ。(実盛が白髪を染めて奮戦したという)甲の下で(実盛の亡霊の化身かとも思われる)こおろぎが(寂しい声で)鳴いている」

以下『平家物語』より。
寿永二年(1183)五月二十一日、倶利伽羅の一戦で大敗した平家軍は、加賀国の篠原(しのはら:小松市街から南西に10kmほど)で再び源氏軍と戦うことになる。
七十歳を越えた老武者実盛(さねもり)は、若武者に侮られぬよう白髪を黒く染め、決死の覚悟で戦いに臨むが、ついには首を打ちとられてしまった。
実は源氏方の大将木曽義仲(きそのよしなか)は幼い頃、実盛に命を助けてもらったことがあった。実盛と旧知の樋口次郎とともに、この雄々しくも哀れな敵将の最期に、はらはらと涙を落とすのであった・・・。

(参考URL:奥の細道をゆく・小松

兜の下でこおろぎが鳴くいている俳句でした。

こちらは、超有名人の松尾芭蕉おきなの俳句。

しかし、これも知らず。

しかも、これを詠まれたのは、現住所のある小松とか。

読みかけの『奥の細道』も読まないといけませんねえ・・・。

句碑のある多太神社は、近所みたいなので今度行ってみようと思います。

③一つ家に遊女も寝たり萩と月 (松尾芭蕉)

 出家姿の自分と同じ宿に、はからずも花やかな遊女が泊り合せて寝ている。

田舎宿の庭の萩の花に、冴えた秋の月が照るのにも、似ている。

(参考URL:一つ家に遊女も寝たり萩と月

出家姿の自分(萩)と華やかな遊女(月)という対比の美しい一句。

これは有名でしょうか・・・?

けれども、これが、どう見立てられるのかは、なんとも、言えませんね。

これは、仙台銘菓『萩の月』

もうひとつのポイント

強いて言うならですが、僕ら読者が真相にたどり着くために、欠けているピースがあると思います。

それは、時代背景の理解です。

たとえば、終戦が1945年であるということは社会の授業で習っても、それが昭和20年と結びつかない、とか。

たとえば、太平洋戦争の開始が1941年で、4年もの間戦争をしていた、とか。

たとえば、徴兵されたということは、その間の地元のことはわからない、とか。

当時からしてみれば当たり前のことが、今の僕らにはないかもしれません(頭ではわかっていても、事件を解決するための手がかりとして応用できるレベルで理解していません)。

終わりに。

最近の人の書いた新しいミステリ(新本格とか)以外は、肌が合わずあまり読まないのですが、やはり名作には名作の理由があると感じました。

時間が許せば、金田一耕助シリーズも制覇してみたいですね・・・。

次は『悪魔の手毬唄』でしょうか。

 

なんとか今月(11月)の読了に間に合いました。

新しく読んだ本でなくとも、以前に読んだ本でよいので、思考の整理も兼ねて、しっかり読了カテゴリーの記事も増やしてゆきたいですね。

では。

risoluto
吟遊詩人。趣味人を気取る教育公務員。

人生とは旅に似ている。



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COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. By 空漠

    横溝正史作品は3,4作くらい読んだかな。
    『獄門島』も読んだけど、俳句のことは僕も全然知らなかったので元ネタ提供ありがたい。
    『悪魔が来りて笛を吹く』にはある部分に古典落語のオマージュと思われる部分があるので、もし読む機会がおありでしたらその話をさせてください。

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